独白

毒親のこと、見てきたもののこと

占い

占いが嫌いだ。

 

細かく言うと占いそのものというより、

「占いの結果を周りに押し付ける」

人が嫌いだ。

 

母親がそう。

 

 

 

 

「この子は芸能界が向いています」

 

人前に出ることは苦ではないが、人から色々言われて平気なほどの心を持ち合わせていない。

 

そもそも自分の見た目がかわいいとか綺麗だとか、

そういうことは考えたことがない。

 

勝手に美少女コンテストに応募され

当時自傷でズタズタだった身体を晒す羽目になった。

水着審査があるのだ。

 

スク水なんか着てるような子はいない。

 

どうして応募しましたか。

(勝手に応募されてました)

 

どんな芸能人が好きですか。

(そういうのはいません。)

 

趣味は?

(ありません。)

 

 

 

「この子は子宮の入口が曲がっているので生理痛がひどいです」

「わたしが気功でなんとかしましょう」

 

婦人科に行きたかった。

 

35歳現在。

ばっちり内膜症とチョコレート嚢胞。

 

 

 

「この子には父方の先祖の霊が祟っています」

 

わたしは、

わたしの話を聞いてほしかった。

 

 

きちんとカウンセリングしてもらって

適切な治療を受けたかった。

 

 

 

母よ。

あなたはわたしの話ではなく、お金を出して少しの時間繋がっただけの他人の言うことを聞くのですか。

 

 

 

 

母は正看護師です。

拒食

わたしはスポーツ選手だった。

減量が必要な分野の。

幼少期から高校2年まで

わたしは食事制限をしていた。

親が、兄弟が、クラスメイトが

まわりがおいしいおやつを食べて

美味しいご飯を食べて

面白いテレビを見ているとき

わたしは、

学校から親の車で真っ直ぐ連行され

怒られて大泣きしながら

苦しい練習でヒィヒィいいながら

おやつは食べられず

0時近くに練習が終わってから、

プロテインと握り飯だけが与えられ

そんな生活で昼の学校、まともに起きていられる訳もなく

授業中、睡眠を取ることだけが救いだった。

お前はダメだと言われて育った。

お前はデブだと言われて育った。

負けたお前に価値はないと言われて育った。

緊迫感と懲罰のなかで育った。

下剤、嘔吐。

覚えたのは中学生の頃。

食べたかった。

でも、食べたら太る。

もうだめだ、このままでは死ぬしかない。

そう思って、家出を繰り返した。

親は味方してくれなかった。

寧ろ、そんなわたしを蔑み、蹴り、殴り

罵倒し

罰し

落胆し

汚い言葉を浴びせた。

(いわゆる毒親なのだけど、このあたりはまた今度)

そんなローティーンの日々を生き抜いた。

わたしは現在、35歳。

心は一度病むと完治しない。

ちゃんと社会一般的な生活が送れて働いて生きているものの

抗うつ薬抗不安薬がないとすぐに死にたくなる。

そんななか、抗うつ薬が必要になった。

その抗うつ薬のおかげで元気になったものの

元気になりすぎて、7キロ太った。

先に話したとおり、人格形成に大切な時期

わたしはずっと太ることに怯え、太ることで罰を与えられてきた人間だ。

標準よりは痩せている。

頭ではわかってる。

でも、やっぱり元に戻りたい。

太ったねと言われる。

(うるさい)

デブと言われる。

(脂肪肝高脂血症糖尿病の父に)

今朝、母親に「体重減った?」と言われた。

わたしが、

わたしが苦しんでいたことも

なにが苦しかったのかも

なんで病んだままなのかも

20代半ばまで、摂食障害だったことも

全部知らないのだ。

知らないから、理解のしようもない。

こうやって、平穏に暮らそうと努力していることが

バカバカしくなってしまうことがある。

本当にしんどい。

しんどいけど、誰に話せばいいかわからない。

だからこのブログに、独白することにした。

今日は

仕事中、死ぬことばかり考えていた。

何食わぬ顔で、淡々と業務をこなしながら

死ぬことを考えていた。

それでも明日は仕事をして、生きていく。

何やってるんだろう。ひどく惨めだ。

当分は親の前でご飯を食べたくない。